アメリカという国を考えるとき、多くの人がまず思い浮かべるのは「自由」「独立」「民主主義」という言葉かもしれません。
しかし、アメリカは最初からひとつの理想国家として生まれたわけではありません。
そこには、先住民の長い歴史があり、ヨーロッパ諸国の進出があり、イギリス植民地の経済活動があり、宗教的な逃避があり、そして奴隷制という深い矛盾もありました。
アメリカ建国の歴史は、単なる「独立の物語」ではありません。
自由を求めた人々の物語であると同時に、自由から排除された人々の物語でもあります。
このシリーズでは、アメリカがどのようにして生まれ、なぜ世界に大きな影響を与える国になったのかを、できるだけ事実に基づいて丁寧に追っていきます。
第1回は、アメリカ合衆国が誕生する前の北米世界から始めます。
アメリカの歴史は、1776年から始まったわけではない
アメリカ合衆国の独立宣言は1776年に採択されました。
そのため、「アメリカの歴史」は1776年から始まったように見えます。
しかし、当然ながら北米大陸には、それ以前から多くの人々が暮らしていました。
スミソニアン国立アメリカ・インディアン博物館は、ヨーロッパ人との接触よりはるか以前から、先住民がアメリカ大陸全体に暮らし、それぞれの土地に適応しながら社会を築いていたと説明しています。
つまり、アメリカ建国史を読むときに最初に押さえるべきことは、「建国」とは空白の土地に国ができた話ではない、という点です。
そこにはすでに、言語、交易、信仰、農業、政治的関係を持った多様な先住民社会がありました。
参考:Smithsonian National Museum of the American Indian
https://americanindian.si.edu/nk360/about/essential-understandings
ヨーロッパ人の到来は、北米社会を大きく変えた
15世紀末以降、ヨーロッパ諸国は大西洋を越えてアメリカ大陸へ進出していきます。
その影響は、単なる「新しい土地の発見」ではありませんでした。
ヨーロッパ人の到来は、先住民社会に病気、戦争、土地の喪失、強制移動などをもたらしました。
スミソニアンは、ヨーロッパとの接触によって旧世界由来の病気、移住の強制、戦争が起こり、アメリカ先住民社会の基盤が大きく損なわれたと説明しています。
ここで重要なのは、アメリカ建国史を「ヨーロッパ系入植者の成功物語」としてだけ見ないことです。
建国の背景には、植民地をつくる側の視点だけでなく、土地を奪われた側の視点も存在します。
アメリカの歴史を深く理解するには、この二重性から目をそらさないことが大切です。
参考:Smithsonian National Museum of the American Indian
https://americanindian.si.edu/nk360/about/essential-understandings
イギリス植民地の始まり、ジェームズタウン
現在のアメリカ合衆国につながるイギリス植民地の出発点として、よく取り上げられるのが1607年のジェームズタウンです。
アメリカ議会図書館によれば、1607年、イギリスの入植者たちはチェサピーク湾地域に到着し、ジェームズタウンを築きました。これは、現在のアメリカ合衆国につながる最初の恒久的なイギリス人入植地とされています。
ただし、ジェームズタウンは最初から順調だったわけではありません。
入植者たちは食料不足、病気、先住民との緊張、労働力不足に苦しみました。
植民地経営は危うく、成功は決して約束されていませんでした。
それでもジェームズタウンは、後のアメリカ史に大きな意味を持ちます。
なぜなら、ここからイギリスによる北米植民地経営が本格化していくからです。
そして、その植民地社会の中で、土地所有、労働、代表制、課税、自治といった問題が少しずつ形を取っていきます。
参考:Library of Congress
https://www.loc.gov/classroom-materials/united-states-history-primary-source-timeline/colonial-settlement-1600-1763/overview/
参考:Britannica
https://www.britannica.com/summary/Jamestown-Colony
ピルグリムとメイフラワー誓約
ジェームズタウンが経済的な植民地経営の象徴だとすれば、1620年のプリマス植民地は宗教的自由の文脈で語られることが多い存在です。
1620年、メイフラワー号に乗ったピルグリムと呼ばれる人々が、現在のマサチューセッツ州付近に到着しました。
彼らは上陸前に「メイフラワー誓約」を結びます。
ブリタニカは、メイフラワー誓約を、現在のアメリカ合衆国の領域で書かれ、実行された最初の統治の枠組みと説明しています。
もちろん、これをそのまま近代民主主義と同一視することはできません。
参加できた人も限られていました。
それでも、自分たちの共同体を自分たちで秩序づけるという発想は、後のアメリカ政治文化を考えるうえで重要です。
「遠く離れた王がすべてを決めるのではなく、自分たちの生活に関わることは自分たちで決める」
この感覚が、やがて植民地の自治意識へとつながっていきます。
参考:Britannica
https://www.britannica.com/topic/Mayflower-Compact
建国の種は、植民地の中にあった
アメリカ独立は、ある日突然起きた事件ではありません。
1600年代から1700年代にかけて、北米のイギリス植民地では、ヨーロッパ本国とは異なる社会が少しずつ形成されていきました。
大西洋を挟んだ距離。
現地での自治の経験。
土地をめぐる拡大意識。
宗教的多様性。
商業と農業の発展。
そして、イギリス本国による統制への反発。
これらが長い時間をかけて積み重なり、やがて「自分たちはイギリス人なのか、それとも別の共同体なのか」という問いにつながっていきます。
1776年の独立宣言は、その問いへのひとつの答えでした。
アメリカ国立公文書館によれば、独立宣言には、植民地側がイギリス王ジョージ3世に対して抱いた不満が列挙されています。つまり独立宣言は、単なる理想の文章ではなく、政治的な抗議文でもありました。
参考:National Archives
https://www.archives.gov/founding-docs/declaration-history
参考:National Archives
https://www.archives.gov/founding-docs/declaration/what-does-it-say
まとめ
アメリカ建国の歴史は、1776年の独立宣言だけを見ても理解できません。
その前には、先住民の長い歴史がありました。
ヨーロッパ諸国の進出がありました。
ジェームズタウンのような経済的植民地がありました。
プリマスのような宗教的共同体がありました。
そして、植民地の中で育った自治意識がありました。
アメリカは、最初から完成された「自由の国」だったわけではありません。
むしろ、自由を掲げながらも、多くの矛盾を抱えて生まれていく国でした。
だからこそ、アメリカ建国史はおもしろい。
理想と現実がぶつかり合いながら、ひとつの国が形づくられていく過程だからです。
次回は、ジェームズタウンをさらに深掘りし、なぜイギリスは北米に植民地をつくろうとしたのかを見ていきます。